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資料ID | 02-0000214 |
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作品名漢字 | 浪花新景松嶋松鶴楼之図 |
作品名読み | ナニワシンケイマツシマショウカクロウノズ |
画家名漢字 | 芳瀧画 |
画家統一名 | 芳瀧 |
画家統一名読み | ヨシタキ |
画家解説 | 芳瀧 よしたき 天保12年(1841)~明治32年(1899) 中井氏、明治初期、一時笹木姓を名乗った。通称恒次郎、芳瀧、一養亭、一養斎、養水などと称した。大坂鰻谷の生まれ、長く大坂に居住したが、京都へ転居、のち堺へ移り住み、堺の甲斐町で歿した。一鶯斎芳梅の門人。長谷川貞信と並び称される代表的な上方浮世絵師で、中判役者絵の作品が多い。この他、風景画、絵入り本の挿絵などの作品も多く、明治期には錦絵新聞(記事・挿絵とも)も手がけた。 |
注記 | 4枚続 |
請求記号 | 大和銀文庫/188/# |
名所名1 | 松島 |
名所名1読み | マツシマ |
現在の市区町村1 | 西区 |
ジャンル名1 | 遊興・娯楽 |
ジャンル名2 | 水上交通 |
作品解説 | 江戸時代には寺島と呼ばれ、舟大工職人が多く住んだ。現在の千代崎町の大部分。 木津川と接する辺りに樹齢300年という松と恵美須の社があり、蛭子松と呼ばれて有名であったため、明治元年(1868)に新たな町名を付ける際、松島と称するようになった。 さらに、当時の政府の意向により、近在のあちこちの遊所がこの地に集められるようになったため、東の吉原と並ぶ、西の遊所として賑わった。 |