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二次利用条件
| 資料ID | 02-0000211 |
|---|---|
| 作品名漢字 | 梅田停車場 |
| 作品名読み | ウメダテイシャジョウ |
| シリーズ名 | 坂府新名所 |
| 画家名漢字 | 貞信(二代)画 |
| 画家統一名 | 貞信(二代) |
| 画家統一名読み | サダノブニダイ |
| 画家解説 | 貞信(二代、初代小信) さだのぶ(このぶ) 嘉永元年(1848)~昭和15年(1940) 長谷川氏。初代貞信の長男。通称徳太郎。はじめは小信と称したが、明治8年(1875)父貞信の跡を襲い二代貞信と称した。父貞信(初代)の下に修行していたが、のち一鶯斎芳梅に学んだ。慶応3年(1867)20才頃から画作をはじめ、鳥羽伏見の戦い、続く明治天皇の難波御幸など当時の世情を主題にした作品を一挙に描いた。維新以後も、大阪市中の開化風俗を描く錦絵・風景版画を数多く遺した。 その他、錦絵新聞や新聞小説の挿絵、芝居絵や肉筆風俗画も手がけた。 |
| 請求記号 | 378/369/# |
| 名所名1 | 大阪駅 |
| 名所名1読み | オオサカエキ |
| 現在の市区町村1 | 北区 |
| ジャンル名1 | 建造物 |
| ジャンル名2 | 文明開化 |
| ジャンル名3 | 陸上交通 |
| 作品解説 | 明治7年(1874)大阪神戸間の鉄道開通により初代の大阪駅が完成した。「梅田ステーション」と呼ばれ、位置は現在よりの西側にあった。設計はイギリス人技師ジョン・エングランドでゴシック風赤レンガ二階建瓦葺の建物であった。『大阪府全志』には、路線の拡張とともに大正期には大阪駅が「大阪の大咽喉」となったと記す。「旅客・運送店は軒を連ね、料理店を初め、飲食店其の他凡百の肆店は開設せられ、旅客は雲集し、貨物は山を為」す状況であった。 高層ビルを併設した現在のものは4代目。 |