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資料ID | 02-0000177 |
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作品名漢字 | 雲水邦福寺 |
作品名読み | ウンスイホウフクジ |
シリーズ名 | なには百景の中 |
画家名漢字 | 貞信(初代)画 |
画家統一名 | 貞信(初代) |
画家統一名読み | サダノブ |
画家解説 | 貞信(初代) さだのぶ 文化6年(1809)~明治12年(1879) 長谷川氏、通称文吉のち徳兵衛、名は貞信。南窓楼、雪花園、猶園、五双亭、浪華亭、信翁、信天翁、蘭考などと称した。また有長、貞宜の画名もある。安堂寺町浪花橋筋の茶巾袱紗商・奈良屋の長谷川治助・お鹿の三男として生まれる。初め四条派画家上田公長の門に入り、のち歌川貞升に、さらに柳斎重春に学ぶ。初期は大判役者絵を専らにしていたが、天保の改革を境に風景画に転進、『浪花百景』などの作品を生みだし、上方風景画の代表的画家と言われるに至った。明治8年(1875)68歳の時、長男の小信に貞信の名を譲った。 |
請求記号 | 378/536/# |
名所名1 | 邦福寺(雲水寺) |
名所名1読み | ホウフクジ |
現在の市区町村1 | 天王寺区 |
ジャンル名1 | 貞信・浪花百景 |
ジャンル名2 | 神社仏閣 |
作品解説 | 昭和45年(1970)統国寺と改称、釈迦を本尊とし、仏殿・楼門など諸堂全てが中国風に造られた黄檗宗万福寺末寺で、以前は和気山邦福寺と称した。 寺伝によると開創は聖徳太子によるもので、不思議山深妙院念仏寺と称した法相宗であったが、宝永6年(1709)法源和尚が師の黄檗四世獨湛上人を開祖に再興、近くの和気清麻呂が開いた和気堀に因んで和気山の山号をつけたと伝える。以後は多くの雲水(諸国行脚の修行僧)がここで修行したため雲水寺あるいは雲水庵とも呼ばれた。方丈座敷からの眺望は素晴らしく、また境内で出された普茶料理も名物となり、来観者が絶えなかったという。 |