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資料ID | 02-0000173 |
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作品名漢字 | 五百羅漢 |
作品名読み | ゴヒャクラカン |
シリーズ名 | 浪花百景之中 |
画家名漢字 | 貞信(初代)画 |
画家統一名 | 貞信(初代) |
画家統一名読み | サダノブ |
画家解説 | 貞信(初代) さだのぶ 文化6年(1809)~明治12年(1879) 長谷川氏、通称文吉のち徳兵衛、名は貞信。南窓楼、雪花園、猶園、五双亭、浪華亭、信翁、信天翁、蘭考などと称した。また有長、貞宜の画名もある。安堂寺町浪花橋筋の茶巾袱紗商・奈良屋の長谷川治助・お鹿の三男として生まれる。初め四条派画家上田公長の門に入り、のち歌川貞升に、さらに柳斎重春に学ぶ。初期は大判役者絵を専らにしていたが、天保の改革を境に風景画に転進、『浪花百景』などの作品を生みだし、上方風景画の代表的画家と言われるに至った。明治8年(1875)68歳の時、長男の小信に貞信の名を譲った。 |
請求記号 | 378/536/# |
名所名1 | 五百羅漢 |
名所名1読み | ゴヒャクラカン |
現在の市区町村1 | 福島区 |
ジャンル名1 | 貞信・浪花百景 |
ジャンル名2 | 神社仏閣 |
作品解説 | 正式には妙徳寺といい、号は龍王山。黄檗宗。中興は鉄梅和尚なので、寺を単に鉄梅とも称していた。十世天真和尚が五百羅漢を安置したことから「五百羅漢寺」と俗称されるようになった。明治42年(1909)の北の大火で焼失している。妙徳寺は再建されたが、昭和3年(1928)に東大阪市に移転した。 |