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資料ID 02-0000172
作品名漢字 合羽嶋より東を望む
作品名読み カッパジマヨリヒガシヲノゾム
シリーズ名 浪花百景之内
画家名漢字 貞信(初代)画
画家統一名 貞信(初代)
画家統一名読み サダノブ
画家解説 貞信(初代) さだのぶ 文化6年(1809)~明治12年(1879) 長谷川氏、通称文吉のち徳兵衛、名は貞信。南窓楼、雪花園、猶園、五双亭、浪華亭、信翁、信天翁、蘭考などと称した。また有長、貞宜の画名もある。安堂寺町浪花橋筋の茶巾袱紗商・奈良屋の長谷川治助・お鹿の三男として生まれる。初め四条派画家上田公長の門に入り、のち歌川貞升に、さらに柳斎重春に学ぶ。初期は大判役者絵を専らにしていたが、天保の改革を境に風景画に転進、『浪花百景』などの作品を生みだし、上方風景画の代表的画家と言われるに至った。明治8年(1875)68歳の時、長男の小信に貞信の名を譲った。
請求記号 378/536/#
名所名1 堂島
名所名1読み ドウジマ
名所名2 蜆川
名所名2読み シジミガワ
名所名3 玉江橋
名所名3読み タマエバシ
現在の市区町村1 北区
現在の市区町村2 福島区
ジャンル名1 貞信・浪花百景
ジャンル名2 水上交通
ジャンル名3
作品解説 堂島は蜆川と堂島川に挟まれた一帯をいい、貞享2年(1685)河村瑞賢の両川改修後に開発され、天満舟を造る舟大工が多く住み、舟小屋ができ発展していった。堂島には米市場が開かれ、享保15年(1730)に米相場会所がつくられ、また諸藩の蔵屋敷も多く立地し商業の中心地となっていった。  蜆川は今の北新地の中心部を流れていた川で、曽根崎川とも称した。堂島川から分流し、安治川に注いでいた。明治42年(1909)7月の大火の際、瓦礫によって上流部が埋め立てられ、現在は碑を残すのみとなった。  玉江橋は堂島川に架かる橋。川幅が広く、両岸が諸大名の蔵屋敷というところに美しい太鼓橋が架かっており「風景絶唱」と称えられた。