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資料ID 02-0000165
作品名漢字 高麗橋
作品名読み コウライバシ
シリーズ名 浪花百景之内
画家名漢字 貞信(初代)画
画家統一名 貞信(初代)
画家統一名読み サダノブ
画家解説 貞信(初代) さだのぶ 文化6年(1809)~明治12年(1879) 長谷川氏、通称文吉のち徳兵衛、名は貞信。南窓楼、雪花園、猶園、五双亭、浪華亭、信翁、信天翁、蘭考などと称した。また有長、貞宜の画名もある。安堂寺町浪花橋筋の茶巾袱紗商・奈良屋の長谷川治助・お鹿の三男として生まれる。初め四条派画家上田公長の門に入り、のち歌川貞升に、さらに柳斎重春に学ぶ。初期は大判役者絵を専らにしていたが、天保の改革を境に風景画に転進、『浪花百景』などの作品を生みだし、上方風景画の代表的画家と言われるに至った。明治8年(1875)68歳の時、長男の小信に貞信の名を譲った。
請求記号 378/536/#
名所名1 高麗橋
名所名1読み コウライバシ
現在の市区町村1 中央区
ジャンル名1 貞信・浪花百景
ジャンル名2
ジャンル名3 建造物
作品解説 「高麗」の由来は、この辺りに高句麗の使節のための迎賓館があったとか、天正18年(1590)の豊臣秀吉の国内統一を祝う朝鮮の国使に因むとか、秀吉が横堀川を開いた時に高麗との貿易に活用したためとか諸説ある。かつて大坂から伸びる街道はこの橋を起点としていた。  橋の西詰には矢蔵屋敷と呼ばれる名所があり、始終人が絶えなかった。  高麗橋は明治3年(1870)に大阪で最初の鉄橋となった。