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資料ID 02-0000128
作品名漢字 道頓堀の図
作品名読み ドウトンボリノズ
シリーズ名 浪花名所図会
画家名漢字 広重(初代)画
画家統一名 広重(初代)
画家統一名読み ヒロシゲ
画家解説 広重(初代) ひろしげ 寛政9年(1797)~安政5年(1858) 安藤氏、幼名は徳太郎、後に重右衛門、徳兵衛と改名した。広重、一遊斎、一幽斎、一立斎、立斎と称した。歌川姓を名乗る。江戸定火消同心の子に生まれ、文化6年(1809)13歳で同心職を受け継いだ。その頃から画を志し、歌川豊広に師事、はじめは美人画や合巻本に挿絵を描いていたが、天保元年(1830)より風景版画に転進。その直後発表した『東海道五拾三次』が好評を博し、風景版画家としての位置を確固たるものにした。とりわけ上方の風物・風景を描いた『浪花名所図会』『京都名所』『近江名所』は詩情豊かな作品として名高い。
請求記号 大和銀文庫/1/#
名所名1 道頓堀
名所名1読み ドウトンボリ
現在の市区町村1 中央区
ジャンル名1 遊興・娯楽
作品解説 梅津川と呼ばれていた小溝を慶長19年(1614)に安井道頓が拡げたのが道頓堀川のはじまりといわれている。元来大坂城排水のため設けられた東横堀川・西横堀川の南側が堀留となり汚濁が進んだため、慶長17年(1612)豊臣家から新川奉行を命ぜられた道頓により起工された。大坂夏の陣で道頓は戦死するが従弟の安井九兵衛道卜らによって元和元年(1615)完成、「南堀」と名づけられる。その後大坂城主松平忠明によって「道頓堀」と改められる。  道頓堀川西岸に町立てされた川八丁にはじまり、南岸は承応2年(1653)芝居名代五株が公認されてから歌舞伎・義太夫・見世物などが賑わい、宗右衛門町や九郎右衛門町の色町と相まって町人文化の核となった。