本資料のURL
二次利用条件
資料ID 02-0000127
作品名漢字 安立町難波屋の松の図
作品名読み アンリュウマチナニワヤノマツノズ
シリーズ名 浪花名所図会
画家名漢字 広重(初代)画
画家統一名 広重(初代)
画家統一名読み ヒロシゲ
画家解説 広重(初代) ひろしげ 寛政9年(1797)~安政5年(1858) 安藤氏、幼名は徳太郎、後に重右衛門、徳兵衛と改名した。広重、一遊斎、一幽斎、一立斎、立斎と称した。歌川姓を名乗る。江戸定火消同心の子に生まれ、文化6年(1809)13歳で同心職を受け継いだ。その頃から画を志し、歌川豊広に師事、はじめは美人画や合巻本に挿絵を描いていたが、天保元年(1830)より風景版画に転進。その直後発表した『東海道五拾三次』が好評を博し、風景版画家としての位置を確固たるものにした。とりわけ上方の風物・風景を描いた『浪花名所図会』『京都名所』『近江名所』は詩情豊かな作品として名高い。
請求記号 大和銀文庫/1/#
名所名1 難波屋の松
名所名1読み ナニワヤノマツ
現在の市区町村1 住之江区
ジャンル名1 名花・名木・名水
作品解説 大和川北岸、紀州街道沿い安立町北部に位置し、『高野参詣日記』に「霰松原」とあり、古くは海岸沿いの松原であった。江戸期には長柄の杓に茶碗をのせて客に対応することで評判であった小町茶屋があり、茶屋の難波屋はその南側に位置し「あんもち」などで繁盛した。付近には大小2本の老松があり、地を這うばかりに四方に枝先を広げ、その姿が笠に似ているところから「笠松」と呼ばれた。『摂津名所図会』にも「四方に蓋覆して笠のごとし。株の高さ七尺、東西十五間余、南北十三間余、周廻五十間ばかり、年々に四方繁茂して柄柱の数かぞへがたし。奇代の霊松にして往来の旅人ここに来つて賞美せずと言事なし」とある。