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資料ID | 02-0000125 |
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作品名漢字 | 八軒屋着船の図 |
作品名読み | ハチケンヤチャクセンノズ |
シリーズ名 | 浪花名所図会 |
画家名漢字 | 広重(初代)画 |
画家統一名 | 広重(初代) |
画家統一名読み | ヒロシゲ |
画家解説 | 広重(初代) ひろしげ 寛政9年(1797)~安政5年(1858) 安藤氏、幼名は徳太郎、後に重右衛門、徳兵衛と改名した。広重、一遊斎、一幽斎、一立斎、立斎と称した。歌川姓を名乗る。江戸定火消同心の子に生まれ、文化6年(1809)13歳で同心職を受け継いだ。その頃から画を志し、歌川豊広に師事、はじめは美人画や合巻本に挿絵を描いていたが、天保元年(1830)より風景版画に転進。その直後発表した『東海道五拾三次』が好評を博し、風景版画家としての位置を確固たるものにした。とりわけ上方の風物・風景を描いた『浪花名所図会』『京都名所』『近江名所』は詩情豊かな作品として名高い。 |
請求記号 | 大和銀文庫/1/# |
名所名1 | 八軒家 |
名所名1読み | ハチケンヤ |
現在の市区町村1 | 中央区 |
ジャンル名1 | 商工業 |
ジャンル名2 | 水上交通 |
作品解説 | 天神橋と天満橋の中間南岸をさす地名で、古く川に沿って家が8軒あったから八軒家であると『浪花奇談』に記されている。 ここには古くから船着場があり、大坂の水上交通の拠点として繁栄した。享保7年(1722)には最盛期を迎え、往来する船は740艘、それらを目当てに物を売りに来る「くらわんか船」など大いに賑った。『摂津名所図会大成』にも「埠頭には行商人や馬方や船客であふれ返り、乗り手押合い弁当ぱくつき、荷物積み船賃集め、昼夜を分かたず口々にかしましく繁昌の証し」とあり、往時の喧噪が窺われる。 |