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資料ID 02-0000124
作品名漢字 安井天神山の花見の図
作品名読み ヤスイテンジンヤマノハナミノズ
シリーズ名 浪花名所図会
画家名漢字 広重(初代)画
画家統一名 広重(初代)
画家統一名読み ヒロシゲ
画家解説 広重(初代) ひろしげ 寛政9年(1797)~安政5年(1858) 安藤氏、幼名は徳太郎、後に重右衛門、徳兵衛と改名した。広重、一遊斎、一幽斎、一立斎、立斎と称した。歌川姓を名乗る。江戸定火消同心の子に生まれ、文化6年(1809)13歳で同心職を受け継いだ。その頃から画を志し、歌川豊広に師事、はじめは美人画や合巻本に挿絵を描いていたが、天保元年(1830)より風景版画に転進。その直後発表した『東海道五拾三次』が好評を博し、風景版画家としての位置を確固たるものにした。とりわけ上方の風物・風景を描いた『浪花名所図会』『京都名所』『近江名所』は詩情豊かな作品として名高い。
請求記号 大和銀文庫/1/#
名所名1 安居天神
名所名1読み ヤスイテンジン
現在の市区町村1 天王寺区
ジャンル名1 行楽地
作品解説 社伝によると、昌泰4年(901)菅原道真大宰府左遷の折、河内の道明寺に向かう途中に四天王寺を参拝した際、この辺りで休息したとされたため、道真没後約40年に当たる天慶5年(942)この地に招魂することとなり、道真が安らいだことに因んで安居天神社と定めたといわれる。また別に、四天王寺の僧が夏安居(げあんご)を修業する安居院(あんごいん)がここにあったことに名前の由来があるともいわれている。  天王寺七名泉の一つ「安井」もほど近く、境内は天神森や安井森などと呼ばれた景勝地で、特に桜の季節には花見客で賑った。また真田幸村が最後を遂げた地としても知られ、大坂の陣でひどく廃朽したのを、松屋呉服店(大丸の前身)店主下村彦右衛門が寛延3年(1750)修復に乗り出し、営繕し拡張を行った。