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資料ID 02-0000106
作品名漢字 浪花道頓堀川作繁栄之図
作品名読み ナニワドウトンボリカワヅクリハンエイノズ
画家名漢字 小信画
画家統一名 貞信(二代)
画家統一名読み サダノブニダイ
画家解説 貞信(二代、初代小信) さだのぶ(このぶ) 嘉永元年(1848)~昭和15年(1940) 長谷川氏。初代貞信の長男。通称徳太郎。はじめは小信と称したが、明治8年(1875)父貞信の跡を襲い二代貞信と称した。父貞信(初代)の下に修行していたが、のち一鶯斎芳梅に学んだ。慶応3年(1867)20才頃から画作をはじめ、鳥羽伏見の戦い、続く明治天皇の難波御幸など当時の世情を主題にした作品を一挙に描いた。維新以後も、大阪市中の開化風俗を描く錦絵・風景版画を数多く遺した。 その他、錦絵新聞や新聞小説の挿絵、芝居絵や肉筆風俗画も手がけた。
請求記号 甲雑/122/#
名所名1 道頓堀
名所名1読み ドウトンボリ
現在の市区町村1 中央区
ジャンル名1 遊興・娯楽
作品解説 梅津川と呼ばれていた小溝を慶長19年(1614)に安井道頓が拡げたのが道頓堀川のはじまりといわれている。元来大坂城排水のため設けられた東横堀川・西横堀川の南側が堀留となり汚濁が進んだため、慶長17年(1612)豊臣家から新川奉行を命ぜられた道頓により起工された。大坂夏の陣で道頓は戦死するが従弟の安井九兵衛道卜らによって元和元年(1615)完成、「南堀」と名づけられる。その後大坂城主松平忠明によって「道頓堀」と改められる。  道頓堀川西岸に町立てされた川八丁にはじまり、南岸は承応2年(1653)芝居名代五株が公認されてから歌舞伎・義太夫・見世物などが賑わい、宗右衛門町や九郎右衛門町の色町と相まって町人文化の核となった。