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資料ID | 02-0000083 |
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作品名漢字 | 野田藤 |
作品名読み | ノダフジ |
シリーズ名 | 浪花百景 |
画家名漢字 | 芳瀧画 |
画家統一名 | 芳瀧 |
画家統一名読み | ヨシタキ |
画家解説 | 芳瀧 よしたき 天保12年(1841)~明治32年(1899) 中井氏、明治初期、一時笹木姓を名乗った。通称恒次郎、芳瀧、一養亭、一養斎、養水などと称した。大坂鰻谷の生まれ、長く大坂に居住したが、京都へ転居、のち堺へ移り住み、堺の甲斐町で歿した。一鶯斎芳梅の門人。長谷川貞信と並び称される代表的な上方浮世絵師で、中判役者絵の作品が多い。この他、風景画、絵入り本の挿絵などの作品も多く、明治期には錦絵新聞(記事・挿絵とも)も手がけた。 |
請求記号 | 甲和/1086/# |
名所名1 | 野田藤 |
名所名1読み | ノダフジ |
現在の市区町村1 | 福島区 |
ジャンル名1 | 浪花百景 |
ジャンル名2 | 名花・名木・名水 |
作品解説 | 野田の春日神社は、今でこそひっそりとした無住の神社だが、『蘆分船』に「よし野のさくらに。野田の藤。高尾の紅葉。」とあるように古来わが国を代表する藤の名所として知られていた。貞治3年(1364)4月の足利義詮住吉神社参拝を記した『住吉詣』に「野田の玉河あり、そのほとりに藤の花咲き乱れたり」「むらさきの雲とやいはむ藤の花野にも山にもはひぞかかるる」とあり、すでに佳勝の地となっていたことがわかる。平安末期から春日詣が盛んになり、その頃藤原氏に因み藤を植えたといわれる。文禄年間(1592~1595)秀吉も藤見物し、以来大変な賑いとなった。 |