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資料ID | 02-0000026 |
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作品名漢字 | 梅やしき |
作品名読み | ウメヤシキ |
シリーズ名 | 浪花百景 |
画家名漢字 | 芳瀧画 |
画家統一名 | 芳瀧 |
画家統一名読み | ヨシタキ |
画家解説 | 芳瀧 よしたき 天保12年(1841)~明治32年(1899) 中井氏、明治初期、一時笹木姓を名乗った。通称恒次郎、芳瀧、一養亭、一養斎、養水などと称した。大坂鰻谷の生まれ、長く大坂に居住したが、京都へ転居、のち堺へ移り住み、堺の甲斐町で歿した。一鶯斎芳梅の門人。長谷川貞信と並び称される代表的な上方浮世絵師で、中判役者絵の作品が多い。この他、風景画、絵入り本の挿絵などの作品も多く、明治期には錦絵新聞(記事・挿絵とも)も手がけた。 |
請求記号 | 甲和/1086/# |
名所名1 | 梅屋敷 |
名所名1読み | ウメヤシキ |
現在の市区町村1 | 天王寺区 |
ジャンル名1 | 浪花百景 |
ジャンル名2 | 行楽地 |
作品解説 | 高津神社、生玉神社の東、今の城南寺町のあたりにあった梅林。江戸亀戸の梅屋敷を文化初年のころに模して開いた。 如月の盛りの頃は多くの人たちが繰り出し、詩を賦し、歌を詠じ、連歌俳諧狂歌を楽しんだという。『摂津名所図会大成』には、「弾あり諷ふあり打あり舞あり様々にて余るさむさに笑ひかねたる莟(つぼみ)まで遊宴の陽気につれて一時に開く思ひぞせらる」とある。 菊の頃にも花壇を設けて賑わったという。 |